三石学さんZOOMセミナー 「太陽信仰の道を行く~謎の北緯34度32分線をたどる~」
.jpg/pixta_46225249_S(1)__600x399.jpg)
熊野古道、日本神話のスペシャリスト三石学さんzoomセミナー
(録画共有あり)
「太陽信仰の道を行く~謎の北緯34度32分線をたどる~」
2025BIWAKOに向かい、古代探求がさらに深まってきています。
公演会場のすぐ近くにある伊勢遺跡から
その足取りを追っていくと出雲にたどり着きました。
出雲王朝を起こした富家伝承を読むと
出雲を追われた富家一族は、大和にたどりつき
三輪山を信仰していたという伝承にたどり着きます。
北緯34度32分上にある三輪山の日の出に
古代の人はどんなエネルギー、ハタラキを感じていたのでしょうか。
北緯34度32分上には、三輪山だけでなく、多くの遺跡が並んでいます。
春分の日、秋分の日には
伊勢湾神島→伊勢神宮→斎宮跡→丹生大師→室生寺、
龍穴神社→長谷寺→三輪山大神神社、
桧原神社→二上山→當麻寺→古市百舌鳥古墳群→堺大鳥大社→淡路島伊勢の森、
伊弉諾神宮などが東西の直線で結ばれます。
この道は、太陽信仰の道、レイラインとしてすでに多くの方に様々な考察がされています。
三石さんのお話では
北緯34度27分から33分線上にある太陽信仰の寺社仏閣を定めたという
渡来の日置部の一族は天文や測量技術に優れていたそうです。
古代から「日を追う女」の話しがあるそうです。
コトバンクより
「日置氏は宮内省主殿寮殿部(とのもり)の負名氏(なおいのうじ)の一つで,
本拠は大和国葛上郡日置郷にあり,
地縁的にも職掌的にも同じ負名氏の鴨氏と類縁の関係にあったと考えられている。
葛城の鴨氏が阿治須岐託彦根(あじすきたかひこね)神をまつるのに対し,
日置氏はこの神の妻という阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)をまつっていた(《尾張国風土記》)。
主殿寮にあっても鴨氏は〈松柴,炭燎〉を,
日置氏は〈灯燭〉をつかさどるというのは,ともに聖火に関与することを意味する。
この職掌は拡大され,この聖火をもって製鉄や土器生産に従事することにもなるのである。
このことは《日本書紀》垂仁39年条で五十瓊敷(いにしき)皇子が
千口の大刀を鍛造したとき,十箇品部の中に日置部が含まれていたことからもうかがえよう。
また日置一族は砂鉄の生産地に多く分布し(肥後菊池川,出雲国飯石郡),
さらに土器生産にも当たったと考えられ,
また日置氏は土師氏系とされ菅原朝臣を賜姓されている(《三代実録》)。
このように日置氏は伴造系の官人として品部(日置部)を管掌したものだが,
職掌はすべて神事にまつわるものであった。
地上の聖火は天上の日神よりもたらされるがゆえに,
日置氏は日神祭祀にかかわるようになったらしい。
伊勢の斎宮の付近に日置氏が分布し,日置田が置かれていたり,
また東の伊勢に対して落日西海の地にあるとして,
日沈宮(ひしずみのみや)と称された出雲の日御碕(ひのみさき)神社の神官が
日置一族であった。
このことは,日置氏が文字どおり太陽祭祀にかかわりある氏族であり,
日置部が日祀部(ひまつりべ)とともに古代天皇の日神的権威を奉斎し,
全国に鼓吹することを職掌とした宗教的部民であったと考えられる。」引用終わり
太陽や月、星、雲、風といった森羅万象に神を見て、
その神託を伝える人こそが『大王』であるとも言われます。
琵琶湖東沿岸の伊勢遺跡もまさにそんな祭祀の場所であったように思います。
暦や時計を持たなかった古代の人々は、
太陽や月、星、雲、風といった自然の変化に耳を澄まし
大地とともに暮らしていたであろうことは
予測できますが、その感性に映る世界はどんな世界だったのでしょうか。
この太陽信仰の道を歩けば、出雲、伊勢、琵琶湖
これらを繋ぐ古代人の心、感性、息遣づかいを感じられるように思います。
2025BIWAKOは、探求の終着点ではなく
古代へ道開きでもあるのかもしれません。
今年は、ここまでの探求のフィールドワークとして
9月秋分の太陽にあわせてこの太陽信仰の道を歩きたいと思います。
出雲からヤマト 三輪山へ。
ヤマトから琵琶湖へ。
鴨氏も富家の子孫だと言われます。
出雲で天孫族を受け容れた人々、
出雲からヤマトへ移動した人々、
ヤマトで他の民族と混じりながら
あたらしい「日本人」を生み出していったように感じます。
ここにあったのは
どこかひとつの民族の意図ではなく
神の意図だけがあったのではないかと感じるのです。
三石さんがひとつひとつの神社のお話もしてくださいます。
オンラインで太陽信仰の道を歩き
古代に想いを寄せる時間です。
三石学さんは、大学時代、出雲で民俗学を学び、自分の生まれ育った熊野に古道があることを知り、
藪に埋もれていた古道を大学卒業後、市役所に勤務しながら休日に少しずつ草刈りをしはじめたそう。
最初は、地域の人々に理解されず、
2年、3年と続けていくうちに協力者が現れ、熊野古道が姿を現すまでにおよそ20年。
その後、世界遺産登録に奔走し、熊野古道が世界遺産になるまでに25年。
今や当たり前のような存在の熊野古道ですが、
三石さんがいなければ現在のような世界遺産の熊野古道はなかったのです。
2度目の熊野で偶然三石さんと出会い、大馬神社をご案内いただきました。
そのとき、聞いた熊野古道を開いたお話にこころを打たれ、
熊野にいくときは必ずご案内いただいています。
今年は、いよいよずっとおすすめいただいていた
太陽信仰の道ツアーを9月20日~23日に
熊野古道ツアーも11月4日~6日
三石さんにご案内をお願いすることにしました。
三石さんは、熊野はもちろんですが、出雲、磐座信仰など
神様全般にもとても詳しく
そのお話は、専門的でありながらわかりやすく
それでいて、たましいに染みわたります。
ぜひ、ご参加ください。
みなさんとオンラインでの古代旅を楽しみにしています。
ルミナ
<三石学さん プロフィール>

昭和30年生まれ。熊野市在住。出雲の歴史と風土に憧れ、島根大学地理学科へ入学。熊野市役所に奉職した30年前から土に埋もれ、忘れられた熊野古道の発掘・整備と調査に取り組んできました。三重県と東紀州で構成する「みえ熊野学研究会」の運営委員・研究員として、熊野学の推進と世界遺産登録への文献的な準備を担当。「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録の際には、イコモス調査団の説明員を担当されました。現在は、熊野旅の文化企画を立ち上げ、熊野市文化財専門委員長、みえ熊野学研究会運営委員長、熊野市民大学コーディネーター、熊野古道語り部友の会顧問、海の熊野地名研究会事務局長、熊野倶楽部旅のコンシェルジュとして貢献されています。
【編著書】
『今昔・熊野百景』
『別冊太陽・熊野』
『国文学・解釈と鑑賞』
『みえ熊野の歴史と文化シリーズ①~④』
『熊野の文化と伝承』
『海の熊野』
『熊野から読み解く記紀神話』など他多数。
.jpg/OIP%20(11)__300x480.jpg)
※2025オンラインサロン招待 講座となります。
オンラインサロン2025FBグループにて録画共有中☆
【お問合せ先】
ルミナ事務局
email:info@luminaplus.co.jp
申込期間 | 2025/2/12(水) 17:00 まで |
---|---|
開催日時 |
|
主催情報
主催者 | ルミナ×須藤昇 |
---|---|
問い合わせ | お問い合わせ(株式会社ルミナプラス) |